横浜FC

屈強な肉体と旺盛な闘志でHAMABLUEの最終ラインにいなくてはならない存在となった、ンドカボニフェイス。

 

 

2023シーズンに東京ヴェルディから横浜FCに加入し、プロ入りから5年越しでJ1のピッチに立った。

 

 

待ち焦がれた舞台で味わったのは、日本最高峰のリーグで戦うことの厳しさだった。

 

 

センターバックというポジションゆえに自らのプレーが勝敗に直結する。「トラウマレベルの試合もあった」と1年目を振り返る。

 

 

ただ、思い返せば6歳から歩んだサッカー人生は、自信を得ては立ち止まり、成長しては伸び悩みの繰り返しだった。

 

 

どんなに苦しくても、曲げなかった信念がある。

 

 

「90分間“闘う”姿勢と気持ちだけは負けないこと」

 

 

今度こそ、上の舞台で自分の本領を発揮するために。

 

 

生粋のファイターは悔しさをバネに、これまで以上に熱く激しく闘志を燃やし、もう一度ここから這い上がる。

 

 

困難を打ち返す、ハマの防波堤

ンドカ ボニフェイス DF 2

取材・文=北健一郎、青木ひかる

最大の武器は「一発勝負に打ち勝つメンタル」

「僕、始めたころはそんなにサッカー好きじゃなかったんですよ」

 

 

そう話すボニは、“日本サッカー御三家”の一つである埼玉県出身。1996年2月に、ナイジェリア人の父と日本人の母のもとに生まれた。

 

 

サッカーを始めたのは、小学1年生。3つ上と6つ上のいとこの影響を受け、地元の少年団に加入したことがきっかけだった。

 

 

両親いわく「小さいころは内気な性格だった」というボニだったが、年齢を重ね徐々に自我を持ち始めると、ある強い想いが芽生え始めた。

 

 

「『サッカーが好き』というよりも『何かで活躍したい』って思いが大きかったですね。水泳もやっていたし、学校の勉強もそれなりに頑張るタイプだったんですけど、そのなかで自分の力を一番示せるものがサッカーだった。最初は正直、それだけの理由でしたね」

 

 

ポジションは主にセンターフォワード。身長が突出して大きいわけではなかったが、足の速さには自信があり、味方からのロングボールに抜け出す点取り屋として重宝されていた。

 

 

「プレースタイルもそんな感じだったし、あくまで『自分の持っている力を出す場所』だったから、練習でうまくなろうとかそういう考えが小学生の時は全然なかったんですよ(笑)。おかげで足元の技術は全く身に付かなかったし、弟の方がよっぽど真面目に練習していたと思います」

 

 

そんなボニの最大の武器となったのは、ここぞの局面で見せる強靭なメンタル。

 

 

「周りは本当に自分よりうまいやつばっかりだったし、卒業したら普通に中学の部活に入ろうと思っていました。だけど、チームのコーチにセレクションを受けることを勧められて。僕、昔から一発勝負に強いんですよ。だから、そこでもいいプレーができて大宮アルディージャのジュニアユースに合格することができました。友達からは『なんで受かったの?』ってかなり驚かれましたね(笑)」

 

 

“巧さ”ではなく“強さ”を持ち味に、ボニはプロサッカー選手を目指すライバルがひしめく環境に乗り込んだ。

 

「初めてサッカーが楽しいと思えた」3年間

簡単な道ではないと覚悟しつつも、大宮ジュニアユースに加入したボニだが、想像以上にJクラブの育成組織の競争は激しく、立ちはだかる壁は高かった。

 

 

同期にフォワードの座は奪われ、センターバックに転向したものの、試合に出られない日々が続いたことで、練習嫌いにも拍車がかかってしまった。

 

 

 

自分はこのままここにいても、先がない。

 

 

 

ユースではなく高校のサッカー部に入ろうと、進学先を探していた矢先の練習試合が、ボニのサッカー人生を大きく切り開くこととなる。

 

 

「最初は私立に行こうと思っていたんですけど、ちょうど進路のことを考え始めたタイミングで、浦和東高校との試合が組まれたんですよ。これはチャンスだと思って気合いを入れたら、結構良いプレーができて。そしたらコーチに『そんなにできるなら、ここで頑張ってみたらどうだ』と言われて、浦和東高校に進むことを決めました」

 

 

 

入学を決めた浦和東高校は、埼玉屈指の名門チームの一つだが、周りには武南高校、西武台高校をはじめとした私立校に加え、Jユースとさらにレベルの高い強豪がひしめく。

 

 

浦和東高校には、そういったチームのセレクションに落ちてしまった選手や、ボニのようにジュニアユースから流れてきた選手が多く集まっていた。

 

 

「言ってしまえば、“こぼれ組”が集まったチームであることは間違いない。だけど、その分チーム自体が反骨心にあふれていたんですよね。『俺らは下手くそだけど、気持ちで闘って見返してやるぞ』みたいな。そういうサッカー観が、自分の小さい頃からの生き方とか、プレースタイルにバシッとハマりました」

 

 

ひときわ厳しい夏の校内合宿は、クーラーも効きづらい部屋で寝泊まりし、ひたすら練習と走り込みと食トレの繰り返し。普段の厳しいトレーニングも含め「毎日必死だった」という。

 

 

「練習よりも試合が好きなのは変わらないし、走るのは辛い。だけど、もうここで俺はやってやるぞって気持ちに初めてなれたし、サッカーが楽しいって思えた瞬間でした」

 

 

この高校3年間で培った“何くそ魂”こそが、今日のボニの礎となっている。

 

水戸で得た本当の自信

1年生から全国高校サッカー選手権のメンバーにも選ばれ、順風満帆だった高校生活。ところが一転し、日本体育大学で過ごした時間は、ボニにとってこれまでのサッカー人生で最も苦しい4年間だった。

 

 

「日体は関東1部リーグだし、練習参加をした時の雰囲気も良くて入部を決めたんですけど、やってきたサッカーが全然違ったので、順応する難しさからスタートしました。そこから、鈴木(政一)監督に『ポジショニングが悪い』と言われ続けて。言われた通りにやっているつもりでもまた言われるし、周りとも動きが噛み合わないし、でもメンバーには選ばれる。もうなんなんだよって。すごく苦しかったし、ちょっと自暴自棄になっていました」

 

 

ここまで体と心の強さでのし上がってきたボニだったが、プロ生活を目前にした最後の学生生活での挫折は想定外のこと。

 

 

メンタルの荒みはピッチにも現れ、大学3年生のリーグ開幕戦でレッドカードを受け6試合出場停止になり、悪い形で名が知れ渡ってしまった。

 

 

そんなボニの救いとなったのが、水戸ホーリーホックで、ディフェンスコーチを務めていた森直樹氏との出会いだった。

 

 

「身体能力を買われてオファーをもらって、1年目はボランチを任されていたんですけど、自分としては早くステップアップしたかったし、後ろで出してくれと監督に直談判していました。自信だけが先行して、本当に無茶苦茶でしたね。だけど森さんは見捨てず、『お前はもっと練習しろ』とマンツーマンで指導をしてくれた。プレーのビデオを一緒に何度も見返しているうちに、大学時代に言われていたことがようやく理解できるようになって……。プロで戦える基盤を作ってもらったし、感謝しかないです」

 

 

自分よりも実力のある先輩たちの必死な姿に加え、ファン・サポーターや地域との距離が近いこともボニの人間性を大きく成長させた。

 

 

「水戸のおかげで野生児から人間に。そしてプロサッカー選手になれましたね(笑)」

 

 

かけがえのない3年間を過ごしたボニは、今度こそ本物の「自信」を手に入れた。

 

チームが苦しい時に何ができるか

良くも悪くも生き急いでいたルーキーイヤーから、丸5年。

 

 

水戸から東京ヴェルディに移籍し、ひとつひとつ階段を上ったボニは、2023シーズンに横浜FCの一員に。

そして念願のJ1の舞台で、開幕戦から先発メンバーに抜擢された。相手は“オリジナル10”の名古屋グランパス。

 

 

0-1で敗れたものの守備は大崩れすることなく、「やれるな」という感覚はあった。

 

 

ところが、チームはそこから10戦未勝利が続き、失点に絡むようなミスをしてしまう試合も出てきてしまった。サッカーが「失点すれば負ける」競技である以上は、連敗が続けば守備陣への風当たりはどうしても強くなる。

 

 

「水戸でもヴェルディでも、これだけ勝てなかったことってなかったし、さらに自分のミスが重なる試合もあって、精神的にはかなりキツかったですね。自分の良さをうまく出せなかったのも僕の実力不足。肉体的にも精神的にも難しい1年になりました」

 

 

終盤の数試合で勝点を重ね、残留の可能性を最後まで引き伸ばしたものの、最終節で降格が決定。

 

 

悔しさやむなしさ。いろんな感情が渦巻いた。

 

 

 

昔のボニであればその感情を怒りに変え、周りのせいにして投げ出してしまっていたかもしれない。しかし、J2から出直す今シーズン。ボニは昨シーズン以上にピッチ内でリーダーシップを取り、練習と試合に取り組んでいる。

 

 

 

「今シーズンはクラブにとっても個人にとっても、勝負の年になると思っています。昨シーズンは引き分けで勝点1でも積めればよかったけど、今年は引き分けじゃダメでより多く勝たないといけない。でもシーズンは長いし、絶対浮き沈みはあるじゃないですか」

 

 

 

ボニは続ける。

 

 

 

「勝ちが続いてる時なんて、みんな調子がいいに決まっている。でも、僕はディフェンスの役割って、チームが苦しい時に何ができるかだと思うんですよ。攻め込まれている時に最後の最後でブロックするとか、0-0で攻撃が停滞している時にセットプレーから一発点を取れるとか。昨シーズンを経験したからこそ、今シーズンはよりそういった部分を意識するようにしているし、試合でも見せていきたい」

 

 

 

困難の波が押し寄せたときこそが、自分の腕の見せ所。

 

 

 

ボニは今日も横浜FCのゴールを守る“防波堤”となり、ライバルたちを跳ね返す。

PROFILE

ンドカボニフェイス/DF

埼玉県越谷市出身。1996年2月15日。183cm、89kg。6歳で地元の越谷サンシンサッカースポーツ少年団でサッカーを始め、セレクションを受け大宮アルディージャジュニアユースへ。卒業後は高校サッカーの名門・浦和東高校に進学すると、2012年には高い身体能力が評価され、U-16日本代表候補に選出された。大学では日本体育大学へ進学し、3年次にはインカレの準優勝に貢献。2018年に水戸ホーリーホックでプロデビューを飾ると、2020シーズンには自己最多の36試合に先発出場し、守備職人としての地位を確立。2021シーズンに東京ヴェルディに移籍し2年間プレーしたのち、昨シーズン横浜FCに加入し、念願のJ1デビューを叶えた。幼少期から培った“ファイター精神”とフィジカルの強さを武器に、最終ラインの要を担い、チームのピンチを救う。