2025シーズンも、いよいよ最終盤。
例年J1昇格、もしくはJ1残留争いの渦中で結束力が求められるこの時期に、一際存在感を増す選手がいる。
在籍5年目、“フィールドプレーヤー最古参”の岩武克弥だ。
10月25日に行われた柏レイソル戦に敗れ、17位の横浜F・マリノスとの勝点差は5に開いてしまった。
それでも、岩武はファイティングポーズを取り続ける。
「戦い方は定まってきているし、チームとして一つにまとまれてはいる。あとは自分たちを信じて、やるしかない」
いくつもの困難に立ち向かってきた“鉄人”の背中が、J1残留への希望の光となる。
“俺には、やり残したことがある”
岩武克弥 DF 22

取材・文=北健一郎、青木ひかる

「横浜FCに加入した時の最初の印象は『年齢層、高っ!』でした(笑)。カズさん(三浦知良)や俊さん(中村俊輔)と一緒にサッカーができるのも決め手の一つだったので、わかってはいたんですけど。ようやく、上から数える方が早くなってきて、中堅選手らしさが出てきたのかなって思っています」
2021シーズン、24歳で浦和レッズから完全移籍で加入した岩武も、20代ラストイヤーを迎えた。
ピンチの芽を未然に摘む危機察知能力と、DFとしては小柄ながら当たり負けない対人守備で、横浜FCの守りを支えてきた。
5シーズンを過ごす中で、開幕当初は新戦力のライバルがスタメンに選ばれることも少なくなかった。それでもシーズンが進むにつれて徐々に序列を上げ、気づけば先発に名を連ねる。
副キャプテンとしてチームを支えながら、正キャプテンが怪我や出場停止の際には、左腕に腕章を巻き、ピッチ上で堂々とリーダーシップを取る。
どちらかと言えば普段は“縁の下の力持ち”タイプだが、ここぞの場面で見せる肝の据わった振る舞いは、「頼もしい」の一言に尽きる。
また、裏表のない人柄と持ち前のコミュニケーション能力の高さによる、“愛されキャラ”っぷりも、岩武の魅力だ。
ある日は中村俊輔コーチに呼び止められ、ベンチで2、30分話し込み、また別の日にはアダイウトンにガッチリと肩を組まれ、ポルトガル語のマシンガントークを浴びながらクラブハウスに戻る。
ピッチ内ではどっしりと構え、ピッチ外ではふわっと空気を和ませる岩武は、横浜FCに必要不可欠な存在だ。

「タケちゃんの一番すごいところは、メンタルの浮き沈みがほとんどないこと。失点してもガクッと落ちずに、次に切り替えてプレーしてくれる」
そう三浦文丈監督も太鼓判を押すが、決して落ち込むことがなかったわけではない。むしろこの5年で様々な苦悩と真正面からぶつかってきたからこそ、今の岩武の強さがある。
移籍初年度の2021シーズンは、本職である右サイドバックの新戦力として加入したものの、ベンチやメンバー外が続いた。
残り10試合を切ったタイミングから右センターバックで出場を重ねるも、J2降格を防ぐことはできなかった。
「浦和でも少しずつ出場時間は増えていたので、『J1でも通用する』という自信を持って、移籍してきたつもりでした。でも、1試合の中で押し込まれる時間の長さもピンチやミスの数も、正直全然違う。残留争いってこんなに厳しいのかと、痛感させられました」
2年目の2022シーズン、「1年でのJ1復帰」の目標の下、北海道コンサドーレ札幌でコーチを務めていた四方田修平氏が新指揮官に就任した。
当時札幌を率いていたミハイロペトロヴィッチ氏の攻撃的な戦術を踏襲する中で、岩武は守備の要を任された。
岩武がセンターバックの中央でプレーすることを「がんばれ岩武システム」と呼んでいるサポーターがいると伝えると、大笑いをしながら「まあ、あのシーズンはたしかに大変でしたね」と振り返る。
「守備はオールコートマンツーマンだったんですけど、それでも後ろはカバーの意識は必要になるんで……。攻撃的な分カウンターを食らうことも多いから、後ろの負担はかなり大きかったし、失点もやっぱり増えてしまった。自分でも『がんばれ俺!』って思いながらやっていました(笑)」
個人として最も苦しい1年となったのは、二度目のJ2リーグを戦うこととなった2024シーズン。人生で初めて前十字靭帯損傷の大怪我を負い、これまで経験してきたことのない“どん底”を味わった。
「自分のプレースタイル的にも相手にガツンと体をぶつけるので、治ったとしても元のような強度ではできないんじゃないかって。全部が不安だったし、不甲斐なさもあって、初めてサッカーがちょっと嫌になったというか……。考えたくなくなる時期もありました」
長期離脱の間チームは「J1再昇格」へ勝利を重ねていく。仲間たちの活躍を喜ぶ反面で、「自分が戻る場所はあるのか」という不安もあった。
そんな時、心の支えとなったのは家族の存在だった。
「ちょうどその頃に奥さんの妊娠が分かって、もうこれはヘコんでる場合じゃないぞ、と。家族が増える楽しみと、守らなきゃっていう責任感の両方で、踏ん張れました。退院してからは、妊婦の奥さんと足が動かない自分とで、普通に生活するのもやっとな時期もありましたけど(苦笑)。でも、それがあったから、今があると思っています」


「“勝点1”だけでも積み上げるには、点は取れなくても守り切らなきゃいけない。正直、キツいなって思うことは、たくさんあります。弱音を吐いていても何にもならないので、自分を奮い立たせています」
J1昇格とJ2降格を繰り返すチームで、J1でプレーするために移籍を考えるのはプロ選手であれば当然と言っていい。現に岩武は、この5年間でチームを離れる仲間を見送ってきた。
それでも、横浜FCの選手として戦い続ける道を選んだ理由を問うと、こう答える。
「毎年『やり残したことがある』って気持ちが、何よりも勝るからじゃないですかね」
一呼吸置いて、岩武は続ける。
「でも、今年残留できたとしても『やり残した』と思うことって、結局出てくるんですよね。でも、そういう向上心があるからこそ長く現役を続けられるし、いろんな人に応援したいと思ってもらえるのかなって」
その言葉からは、3年前のインタビューでも話していた「たくさんの人に愛される存在になりたい」という、変わらない理想像が垣間見える。
それは一人の選手としてだけではなく『横浜FC』というクラブも含めた、真摯な願いでもある。
「この先自分のキャリアがどうなるかはわからないし、まだ上を目指していきたいという思いもあります。
でも今はとにかく、横浜FCの選手として『やり残したこと』を取り返していきたい」
次戦の相手は、現在リーグ首位に立つ鹿島アントラーズ。2023シーズンの最終節、J2降格が決定したスタジアムで、運命の“リベンジマッチ”に臨む。
「相手もあることなので、どうなるかは始まってみないと、正直わかりません。それでも、誰一人諦めてはいない。勝つことだけを考えて100%、120%の力を出し切ります」
不死鳥のエンブレムを何度も叩き、自身と仲間を鼓舞し続ける。
今度こそ、みんなと最後に笑い合いたい──。
誰よりも強い、その思いを胸に宿して。

岩武克弥/DF 大分県出身。1996年6月4日生まれ。173cm、70kg。
カティオーラFCジュニアからカティオーラFCジュニアユースを経て、高校時代は大分トリニータU-18へ。明治大学に進学後、同校の体育会サッカー部に入部。大学3年次の2017年にユニバーシアード日本代表に選出され、第29回ユニバーシアード台北大会に出場し、大会優勝に貢献。4年次にはサッカー部のキャプテンを務めた。浦和レッズへ加入内定後は特別指定選手としてプレー。2021シーズンに横浜FCへ完全移籍加入。2022シーズンより、3年連続でチームの副キャプテンを務める。豊富な運動量、絶対的な対人の強さに加え、高いビルドアップ能力で横浜FCの守備陣を牽引する。明るく前向きなキャラクターでチームメイトからも愛される。