横浜FC

 

吉野恭平、28歳。

 

高校1年生で地元・仙台を離れ、東京、広島、京都と渡り歩いた男が、横浜にやって来た。

 

紆余曲折しながらも、キャリアを重ねた吉野を突き動かす原動力は、誰にも負けない闘争心。

 

中堅選手となった今もその熱量が冷めることはなく、体を張った泥臭い守備は、今や横浜FCの生命線となっている。

 

チームのためにも、自分のためにも、目指すものはただ一つ。

 

 

プロ11年目のファイターは、J1残留のために何度でも立ち上がる。

 

 

 

 

反骨心を、
力に。

吉野恭平 DF 27

取材・文=北健一郎、青木ひかる

 

ベガルタへの憧れと反骨心

 

1994年11月8日、吉野恭平は宮城県仙台市に生まれた。

 

 

 

幼い頃から「やんちゃでしかなかった」という少年の楽しみは、おらが街のJクラブ・ベガルタ仙台の練習場とスタジアムに通うこと。

 

 

会いに行ける身近なヒーローや、芝が一面に広がるサッカー専用スタジアムに、吉野は胸を踊らせた。

 

 

憧れの選手は、ベガルタのJ1昇格の立役者となったテクニシャンの2人。小学校への就学を前に、友達と一緒に通い始めたスクールで、日々練習に励んだ。

 

 

 

「岩本(輝雄)さんと財前(宣之)さんにはめちゃくちゃ憧れてました。技術を生かしながら点を取る、攻撃的な選手になりたくて、今とは全然違うプレースタイルでしたね」

 

写真=本人提供

 

 

 

そのスキルはみるみる頭角を表し、吉野はスクールでも選抜クラスに振り分けられていた。

 

ところが、自信満々で受けたベガルタジュニアユース昇格のセレクションには落選。サッカーを始めて最初の挫折を味わった。

 

 

 

「プロになれるとは思わなかったですけど、まさかセレクションに落ちるとは思ってなくて。ショックは大きかったです」

 

 

しかし、スクールコーチとの繋がりで加入したA.C アズーリで、吉野は人生を大きく変える出会いを果たす。

 

 

「西條勝人さんってコーチがいたんですけど、『ボランチで勝負したら、絶対プロになれるぞ』と。急にそう言われても実感ないじゃないですか。びっくりしましたね」

 

 

点取り屋から舵取りへのコンバートは功を成し、吉野はチームの主力選手へと成長を遂げた。

 

プロになれるかもしれないという自信に加え、西條コーチからはもう一つ、植え付けられたものがある。

 

 

「ベガルタには負けたくないという気持ちですね。中1の頃はコンプレックスが強かったんですけど、コーチから何度も『あいつらに勝てないぞ』ってことを言われて、だんだん見返してやろうという思いが強くなりました」

 

 

『ベガルタユースからのオファーを断る』

 

 

3年越しの因縁を晴らした吉野は、サッカーでより高みを目指すべく、宮城を飛び出すことを決断した。

 

 

 

 

プロ顔負けの“個性派集団”

 

フォワードからボランチへのシフトチェンジに続き、吉野にとって2度目の転機になったのが、クラブユース選手権への出場だった。

 

 

「中3で出た、初めての全国大会でした。全然レベルが違いすぎて、グループリーグであっさり敗退しました。ベガルタに勝つことだけにこだわっている場合じゃないなと思い知らされました」

 

 

遠征から帰宅したそのままの足で、吉野は両親に県外への進学を直訴した。いくつかの候補が挙がったなか、A.Cアズーリの代表から東京ヴェルディユースを薦められた。

 

 

「セレクションに合格したのも信じられなかったんですけど、ジュニアユースから昇格した選手ばかりだったので、『誰だこいつ』みたいな雰囲気で怖かったのを覚えてます(笑)。立ち振る舞いも、プロみたいな感じでした」

 

 

 

写真=本人提供

 

 

 

 

中島翔哉、前田直輝ら同年代屈指の個性派ドリブラーを相手に、1対1や紅白戦で対峙する日々が続いた。

 

練習でも1秒たりとも気を抜かない同期を相手に、吉野も中学時代に培った負けん気の強さで対抗した。

 

 

「マッチアップしてボールを取ると、殴りかかるくらいの勢いで取り返してくるんですよ。もう技術のうまさじゃ敵わないから、自然とフィジカルや球際が鍛えられました」

 

 

高校1年生では年代別の日本代表にも選出され、高校2年生ではU-18のクラブユース選手権で優勝、さらに高校3年生の高宮杯プレミアリーグイーストでは、驚異の無敗優勝。

 

吉野はキャプテンとしてチームをけん引した。

 

 

「キャプテン候補は他にいたんです。でも、尖りすぎてた僕にキャプテンシーをもたせるために、あえて任せてくれました。当時はもっと気性も荒かったので、サッカーをやっていなかったらヤンキーになっていたかもしれません(笑)。なんとかプロになれて良かったです」

 

 

ヴェルディユースの“黄金世代”として一時代を築いた吉野は、2種登録を経て、2013年にトップチームへの昇格を叶えた。

 

 

 

 

 

ベースを作った、広島での3年間

 

 

東京ヴェルディでデビューした吉野は、リーグ戦で9試合に出場。2016年のリオ五輪出場を目指すU-21代表にも選出され、幸先の良いプロキャリアのスタートを切っていた。

 

 

『今年はもっと結果を残したい』

 

 

プロ2年目に向けて意気込む吉野に、想定外の通達が届いたのは、シーズン前の冬季キャンプ中のことだった。

 

 

「移籍になるかもしれないと。電話で聞いた時はさすがに動揺したし、耳を疑いましたね」

 

 

クラブの財政難に伴う、サンフレッチェ広島への電撃移籍。2014シーズンは保有権のみが広島に移り、ヴェルディへの期限付き移籍という形でプレーを続け、同年の8月に、吉野は1人、新天地へと渡った。

 

 

当時の広島は、現日本代表監督の森保一氏が指揮官を務め、全盛期を迎えていた。

 

 

J1リーグを2連覇した強豪クラブへの移籍は、試合に出場することだけを考えれば、高卒2年目の吉野にとって厳しすぎる環境だ。それでもこのイレギュラーな状況も受け止め、自らの糧にした。

 

 

「そもそもメンバー争いの土俵にも立っていないことは自覚していたので、その準備として日頃の練習に全力を出していました」

 

 

全体練習に加え、毎週2回、若手メンバーを集めてのハードな2部練をこなした。

 

 

「間違いなく、プロで戦うベースを作れた3年間だったなと思います」

 

 

質も強度も高いトレーニングは実を結び、2016シーズン第9節ジュビロ磐田戦で、念願のJ1リーグ初先発を果たした。

 

 

 

 

目標だった、地元クラブでのプレー

 

「2016シーズンは、自分でもパフォーマンスにも自信がありました。途中で怪我をしてしまったんですけど、復帰したあともすごく状態は良かったので、自分の力を試すために期限付きでの移籍を決めました」

 

 

吉野が活躍の場として選んだのは、京都サンガF.C.。

 

 

2年間の武者修行を終えた吉野は、広島に戻り、守備的な役割で出場機会を増やした。2019シーズンには、千葉和彦から背番号を引き継ぎ、センターバックの一角として13試合に先発メンバーとして出場した。

 

 

そんな折、ベガルタから10年ぶりにオファーが届いた。

 

地元クラブからの再アタック。

 

ただ、中学生時代の反骨心とは異なる理由で、吉野の心は揺れていた。

 

 

 

「ユースの時は断りましたけど、地元のクラブでいつかはプレーしたいとは思っていました。でも、別のクラブからもオファーが来ていたんです。毎日心変わりしてましたね」

 

 

 

悩んだ末、吉野は地元・仙台への帰還を決めた。幼い頃から時に羨望し、時に敵対したゴールドのユニフォームを纏い、懸命に走り続けた。

 

 

 

 

しかし、2021シーズンにチームはJ2に降格。

 

1年でのJ1昇格を目指して奮起したものの、吉野は半月板損傷の怪我で戦線を離脱したまま、ベガルタでの3年目が幕を閉じた。

 

 

 

 

初心に帰ったつもりで

 

「ベガルタを昇格させることもできず、自分としても、もうサッカーを辞めた方がいいのかなとも思っていました。そうしたら、横浜FCが声をかけてくれて。もう自分にとって最後のチャンスだというつもりで、オファーを受けました」

 

 

自分にできることは全てやり尽くす覚悟で、吉野は横浜の地へ足を踏み入れた。

 

 

背番号は、サッカーを始めてから最初につけた、27を選んだ。

 

 

「たまたま空いていて、これもいい縁だなと。新たなスタートで、初心に帰ったつもりです」

 

 

 

 

その心持ちは、先日のインタビューで「若手に戻ったつもりで挑む」と話していた、小川慶治朗と似たものがある。

 

実際小川とは仲が良く、体のケアや食事についてアドバイスを受けながら、コンディションを整えている。

 

 

「今まで気にしていなかった部分も、私生活から全部見直しました。とにかく後悔がないように、この1年を過ごしたい」

 

 

 

 

シーズン序盤こそ出場機会がなかったものの、第6節のアビスパ福岡戦からスタメンの地位を確立し、横浜FCの最終ラインに欠かせない存在となった。

 

 

「もちろん、ビルドアップや縦パスも自分の強みではあります。だけど今はそれよりも、いかに球際の強さを発揮して、相手に負けないかが重要です」

 

 

 

 

若手の選手も多いなか、苦しい戦いが続き、チーム全体の士気が落ちることもある。

 

そんな時こそ、吉野は自らに活を入れ、相手のチャンスを潰すことに専念する。

 

 

「昔の自分だったら、仲間に怒ってしまうこともあったかもしれません。でも今は、『俺もやらなきゃ』と思ってもらえるように、プレーでみんなを引き上げたい。残りの試合も少なくなっていますが、自分は『降格するようなチームではない』と思っています」

 

 

 

8月26日に行われた横浜F・マリノスとの“横浜ダービー”では、その強気な姿勢をゴールという最高の形で示し、クラブの歴史に名を刻んだ。

 

 

 

 

 

 

決して順風満帆なキャリアではなかった。運命のいたずらのような出来事もあった。

 

それでも、酸いも甘いも乗り越えた今、再びJ1の舞台に立っている。

 

 

 

失うものは何もない──。

 

 

 

あの頃よりも“大人”になった吉野は、変わらない反骨心を燃やし戦い続ける。

 

 

 

 

 

 

PROFILE

吉野 恭平(よしの きょうへい)/DF

宮城県仙台市出身。1994年11月8日生まれ。182cm、75kg。F.C.ASKでサッカーを始め、A.C AZZURRIで中学3年間を過ごし、高校進学を前に上京を決意。東京ヴェルディユースに加入し、2013シーズンにトップチームに昇格を果たした。2014シーズン、クラブの財政状況の影響でサンフレッチェ広島への移籍が決定。2016シーズンには出場機会を求めて、夏に京都サンガF.C.へ期限付き移籍した。2018シーズンに広島に復帰したのち、2020シーズンにベガルタ仙台からオファーを受け3年間プレーし、2023シーズンに横浜FCに加入を果たした。足元の巧さと球際の強さ兼ね備え、最終ラインの要として相手のチャンスシーンを潰し、チームの勝利に貢献する。こちら