横浜FC

 

 

近藤友喜、さぁピッチを切り裂けよ──。

 

 

6月11日に行われたホーム・浦和レッズ戦を前に、新加入選手の個人応援歌がお披露目された。

 

 

右サイドを駆け上がるアタッカーは、これまでピッチだけではなく、数々の挫折や困難を切り裂き、今、横浜FCの戦士として戦い続けている。

 

 

「いつか、見返してやりたい」

 

 

変わらない執念が、今日もまた、この男を強くさせる。

 

 

 

ピッチを切り裂く、

逆襲のジャックナイフ

近藤友喜 MF 33

取材・文=北健一郎、青木ひかる

 

順風満帆と思えた、キャリアスタート

 

愛知県春日井市。

 

名古屋の中心地・栄から電車で約30分のベッドタウンに、近藤友喜は生まれた。

 

 

サッカーに出会ったのは、まだ幼稚園に通う5歳の頃。

 

2つ年上の姉の同級生たちが名古屋グランパスのスクールに通っていることを知り、「自分も一緒にやりたい!」と言い出したことがきっかけだったそうだ。

 

 

写真=本人提供

 

「父はずっと野球をやっていて、自分も最初は野球とサッカーを両方やっていました。本当は野球をやらせたかったんじゃないかなと思いますけど、小4で名古屋のアカデミーのセレクションを受けて、もし受からなかったら野球に専念しようと決めていました」

 

 

父の胸の内を薄々感じながらも、無事セレクションにも合格した近藤は、サッカーの道に進むことを決断した。

 

 

“楽しいだけのサッカー”から、Jクラブの育成組織の一員として、より高みを目指す生活が始まった。

 

 

 

当時から主戦場は右サイド。

 

体格こそ小柄だったが、スピードを生かしたドリブルを武器として技術を磨いた。

 

中学進学後にジュニアユースに進んだあとも、1年生から出場機会を獲得し、主力選手として経験を重ねた。

 

 

「だんだん体格差が開いてきて当たり負けすることも出てきたんですけど、どうにかしなきゃなと試行錯誤する反面、試合には出ていたんですよね。正直ユースにもそのまま問題なく上がれると思っていたし、進学先も県内で探そうくらいに考えていました」

 

 

両親さえも昇格を信じて疑わずにいた中学3年生の夏、面談でのスタッフからの第一声は予想外の一言だった。

 

 

 

 

失った11枚目のユニフォーム

 

 

「残念ながら、見送りです」。

 

 

想定していなかったその言葉は、15歳の近藤にとってあまりにもショッキングなものだった。

 

 

「理由としては、フィジカルが足りないというところ。正直信じられなかったです。だんだん落ち着いてきて、『他のメンバーも落とされているのかもしれない』と思ったんです。ただ、蓋を開けてみたら11人昇格していて。試合で先発だった10人は僕以外全員昇格が決まっていました」

 

 

もらい受け取ると信じていた11枚目のユニフォームは、自分のサブとして途中出場し続けていたライバルの手に渡った。

 

 

近藤にとって人生で初めての、そして最大の挫折。

 

 

「さらにショックだったことが、急いで受けに行った星稜高校のセレクションにも落ちたことでした。自分は選手として必要とされていないし、誰にも認められていないんだなと。学校も1日、2日だけですけど休みましたし、ずっと泣いてました。『もうサッカーいいかな』って。それくらいヘコみましたね」

 

 

行き詰まった近藤に、当時の監督は群馬県の強豪・前橋育英高校への進学を提案した。

 

名古屋としてはほぼ前例のないルートだったが、藁にもすがる思いでセレクションを受け、どうにか合格を勝ち取った。

 

 

「年中から通っていたクラブですし、面談のあとも試合にはスタメンで出ていたんですよ。なので、最後の大会も名古屋のために頑張ろうと、精一杯やり切りました。卒業した後は当然変わりますよね(笑)。いつか見返してやると。そのために高校、大学は必死でしたね」

 

 

 

Jリーグで、いつか名古屋を見返したい──。

 

 

泣き寝入りした過去の自分に別れを告げ、1学年50人の選手を擁する名門校の門戸を叩いた。

 

 

 

ピンチを救ったのは「努力」と「運」

 

 

高校入学から大学卒業までの7年間は、近藤にとってひたすら個としての技術を高め続ける濃密な時間となった。

 

 

「人と違う持ち方とか、タイミングのずらし方をひたすら練習していましたね。たまたま浦和の関根貴大選手のドリブルを見て、右サイドで右利きなはずなのに左足でボールを持っていたんですよ。『あ、これやってみようかな!』とか。いろんなことを試していました」

 

 

努力は評価に繋がり、前橋育英入学当初、Bチームのベンチだった近藤は、2年生の春にはAチームの主力メンバーとして地位を確立した。

 

写真=本人提供

 

そんな近藤の進路に再び暗雲が垂れ込んだのは、高校3年の春のこと。

 

 

「骨折をして、インターハイに出られなかったせいで大学のスカウトの人に見てもらう機会を逃してしまったんです。結局全然決まらないまま、最後の選手権の前になってしまって。山田監督に『進路はなんとかするから、サッカーに集中してくれ』と言われて、紹介されたのが日本大学でした。試験を受けたのが2月で、合格したのが3月。本当にぎりぎりですよね」

 

 

4月に昇格は決まっていたものの、当初、日本大学サッカー部のカテゴリーは東京都1部リーグ。

 

Jリーガー輩出チームが集まる関東1部リーグよりも、2つも下のカテゴリーに所属していた。

 

それでも自分にはここしかないと腹を括った。

 

 

 

「行きたくて選んでるわけではなかったですが、育英にも日大にも拾ってもらって、厳しい環境で揉まれて、いい選手たちにも出会えました。結果としてよかったし、幸せなことだと思います」

 

 

思い描いていた経歴ではなかった。

 

 

それでも、運だけは良かったと自身の過去を振り返る。

 

 

 

初めて経験するふたつの悩み

 

大学2年生の1月に行われた全国大会で、横浜FC強化部の目に止まった近藤だが、すでに手元には別のJクラブからオファーの話が届いていた。

 

 

「大会の後にまたケガをして、横浜FCの練習参加も行けなくなってしまって、もうひとつのクラブにもう決めようとしていました。ただ、横浜FCには代わりにプレー集を提出することになって、その後正式にオファーをいただきました。これまでは選択肢なんてなかったので、自分でどちらかを選んで決めることが怖かったし、すごく時間がかかりましたね」

 

 

 

そんな時、アドバイスをしてくれた人物が2人いた。

 

前育時代の先輩・田部井涼と、選手としての大先輩・中村俊輔である。

 

 

「涼さんは、高校の時は人格者というか。神様みたいな存在でした。横浜FCに加入するかもしれないと聞いて、この人と同じチームでやれればプラスしかないし、選手としても人としても成長できるかなと思いました。」

 

「俊さんからは、たくさん練習参加に行ったけど、唯一参加しなかったマリノスに決めたという話を聞きました。結局どこに行ったとしても自分次第だし、『ここでやりたい』とか『ここだったらうまくいきそう』っていう感覚で決めればいいよと言われたんです。それで、その日の電車の中で『横浜FCにしよう』と決めました」

 

 

 

 

 

大学3年生の6月、横浜FCへの内定を獲得した近藤だが、もうひとつ経験のない悩みに直面した。

 

大学のチームメートから、これまでにないオーバーなリスペクトを受けるようになったのだ。

 

 

「内定が出た途端、『友喜になら抜かれてもしょうがない』みたいな。自分からポジションを獲ろうとする選手もいなくなって、大学サッカーが途中で楽しくなくなってきてしまったんです。競争がなかったら成長はない。そこは譲れなかったんです」

 

 

自分のレベルが上がったからこそ、感じるもどかしさ。

 

それでもストイックに、とにかく上だけを見続けた。

 

 

内定発表後は、大学のリーグ戦に加えて、横浜FCでも特別指定選手として2年間、より技術の高い選手と対峙しながら自分を高める日々を送った。

 

試合数こそ限られたもののJリーグのレベルを味わい、悔しい思いを糧にしながら、正式加入の2023シーズンに向け万全な準備を行った。

 

 

 

 

 

求めていた環境で

 

迎えた2023シーズン。

 

待ちに待った開幕戦は、近藤にとって完璧な舞台が整った。

 

 

「ちょうど開幕カードが発表される時に実家に戻っていて、家族と『名古屋になったりしないかなあ』と話をしていたんです。そうしたら本当に、開幕の相手が名古屋になって。もうやってやるしかないと火がつきましたし、先発で絶対に出ると決めて、練習にも取り組んでいました」

 

 

その宣言どおり開幕スタメンを勝ち取った近藤は、長年抱えた愛憎とも言える念を胸に1試合を戦い、ルーキーながらもその存在感を示した。

 

 

 

 

しかし、名古屋戦こそ1失点で抑え健闘したものの、以降10節までは未勝利の状況が続いた。

 

 

「本当に苦しかったです。自信を持ってやっているけど結果がついてこなくて、このままでいいのかと迷っての繰り返しでした。個人としては代表にも呼ばれて、もちろんパリ五輪は意識していますが、あの時はアピールしようというより、何かしら吸収して横浜FCに還元しようという気持ちでしたね」

 

 

代表活動後の横浜ダービーでは、誰よりも気持ちを見せ、気迫のプレーで何度もゴールに迫った。

 

それでもチームは0-5で大敗。

 

1点でも自分が決められていたら、何かが変わっていたかもしれないと、唇を噛んだ。

 

 

「札幌戦でもゴールは決めて、みんなからもたくさん連絡をもらいましたけど、結果は負けているし、まだ決めてないようなものだと思っています。勝ちにつながるゴールやアシストをどんどん増やしていきたいです」

 

 

 

 

チームとして戦い方を大きく変え、現在はよりディフェンス力の高い山根永遠とポジション争いを繰り広げている。

 

 

「初勝利のアルビレックス新潟戦のあとにベンチになって、柏レイソル戦のあともベンチになりました。勝った後に序列が変わるのは本当に悔しいです。でも、それは求めてたことですし、この競争に勝てないとやっぱりパリ五輪も見えてこないので。この状況も楽しみながら、戦っていきたいです」

 

 

チームとしては残留を。

 

 

個人としては、ゴールとアシスト、そして代表入りを目標に。

 

 

「言い方はちょっと悪いですが、後悔させてやりたいという気持ちでここまで僕はサッカーを続けているので、『あの時ユースに上げて、トップまで上げておけば』と思わせられるように、自分の力を見せつけたい」

 

 

 

ひたむきで貪欲な非エリートの逆襲劇は、ここから始まる。

 

 

 

 

近藤友喜(こんどう ともき)/MF

愛知県春日井市出身。2001年3月21日生まれ。172cm、64kg。名古屋グランパスのスクールでサッカーを始め、名古屋グランパスU-12、名古屋グランパスU-15でプレーしたのち、前橋育英高校へ。卒業後は日本大学でチームをけん引し、大学3年の春に横浜FCへの加入内定を掴み取った。2021シーズンから特別指定選手として前倒しでJリーグデビューした経験を生かし、大卒ルーキーながらも加入3年目の自覚と責任感を持って、どんな試合も熱く戦うサイドアタッカー。プロフィールはこちら