横浜FC

 

28歳。

 

サッカー選手として脂の乗り切った年齢で移籍を決めた。

 

J1王者・川崎フロンターレから、

J2に降格したクラブへ。

 

覚悟と責任を持って、キャプテンを引き受けた。

 

決して順風満帆だったシーズンではない。

 

それでも、逃げなかった。

ずっと、前だけを見てきた。

 

長谷川竜也―――。

 

チームNo.1のテクニックを持つ男は、誰よりもひたむきに戦う。

 

「みんなで最後に笑いたい」から。

 

 

 

取材・文=北健一郎、渡邉知晃

 

 

運動は好きじゃなかった

 

長谷川竜也が生まれたのは静岡県の沼津市。

 

幼稚園の頃の引越しをきっかけに「友達作りのために」サッカーを始めた。

 

 

「親によれば、それまで運動があまり好きじゃなかったみたいなのですが、サッカーは楽しそうにやっていたみたいで」

 

 

小柄な少年はボールを蹴ることに夢中になっていく。

 

写真:本人提供

 

 

サッカー王国と言われる静岡県の中でも、長谷川が住んでいた沼津市は他のエリアに比べると強豪チームは多くなかった。

 

地元の少年団である門池SSSでプレーしていたが、県大会にすら出たことがなかったという。

 

しかし、4年生の時に沼津市選抜に選ばれたことで、強豪チームとの試合を経験することができた。

 

 

「初めて県大会に出て、清水市、静岡市、浜松市あたりは強かったのですが、自分たちの代は意外と強かったので、3位になることができました」

 

 

土日の少年団のチーム練習以外にも、平日に清水エスパルスのサッカースクールに通っており、そこでコーチだった今泉幸広さんの技術の高さに影響されて、そこから個人技を磨くようになった。

 

 

 

“シズガク”で身につけたもの

 

小学生で身につけてきた個人技をさらに向上させたのは、「シズガク」への進学だった。

 

 

写真:本人提供

 

 

 

「静岡学園中学校に進学したタイミングで、さらに練習するようになって上手くなれたのかなと思います」

 

 

「静岡学園高等学校」は全国高校サッカー選手権大会の全国大会の常連だ。

 

”ドリブル”や”テクニック”を重視するサッカーは「静学スタイル」とも言われ、数多くのテクニシャンを輩出してきた。

 

 

中高一貫校であるため、中学3年の後半から高校のトップチームに上がり練習に参加していた。

 

 

高校2年次の選手権の全国大会では、1つ上の先輩であり現在川崎フロンターレでプレーしている大島僚太と共に出場し、華麗なドリブルでその名を全国に轟かせた。

 

 

高校2年の終わりには横浜FCの練習に参加した。

 

1日だけだったが、長谷川には忘れられないことがある。

 

 

「カズさんと、お昼ご飯を一緒に食堂で食べたんです」

 

 

横浜FCで現役最年長Jリーガーとして戦い続ける三浦知良は、長谷川が静岡学園の後輩ということで声をかけてくれた。

 

 

「ものすごく緊張した」というが、日本サッカーのレジェンドと過ごした貴重な時間は、長谷川のプロへの憧れを強くした。

 

 

 

 

 

サッカーを構造的に理解する

 

複数のJクラブの練習に参加したものの、正式なオファーには至らず高校卒業後は順天堂大学へ進学した。

 

静学と、長谷川が在籍していた当時の順大ではサッカーのスタイルが違ったが、そこに対しても前向きに捉えた。

 

「いい選手はどこにいても試合に出られるので、そこは本当に自分が合わせるしかない。その中で何かしらの違いを生み出すしかないと」

 

 

足元の技術を大切にし、ボールを保持する静学に対し、順大は背後をどんどん狙って行くサッカー。

 

 

長谷川の特徴であるテクニックを発揮しやすい環境ではなかったが、だからこそ新たに学ぶこともあった。

 

 

「裏への動き出しのタイミングとか、オフザボールは向上したと思います」

 

 

幼少の頃から、ドリブルや足元の技術を磨くことにこだわってきたが、大学に入ってからはサッカーを構造的に理解することにも興味が出てきたという。

 

 

「例えば、どこで受けられたら相手が嫌なのか、どういったドリブルをされるのが嫌なのか。自分の中の再現性を高めていくプレーを増やすためにはどうしたらいいかを考えています」

 

 

 

 

順大卒業後、J1の強豪である川崎フロンターレに加入することになる。

 

川崎には静学の先輩である大島僚太がいた。

 

2人には共通点がある。

 

 

「考えながらプレーするというのは、お互いずっとやってきたと思います」

 

 

自分の特徴を生かすにはどうしたら良いか、身体が小さいというハンデをどう補っていくかを考えながらプレーし続けた。

 

 

プロ1年目に風間八宏監督の元でサッカーができたことも大きかった。

 

 

「止める、受ける、マークを外すというサッカーの概念が、また変わりました」

 

 

 

 

自分はドリブラーじゃない

 

長谷川には“ドリブラー”という枕詞がつくことが多い。

 

 

事実、サイドでボールを持った時の多彩なテクニックは大きな武器だ。

 

だが、プロとしてキャリアを重ねる中で、長谷川の中には一つの違和感が芽生えてきた。

 

 

自分はドリブラーじゃない――。

 

 

「ドリブルはできる方だとは思っています。だけど、ドリブルだけだったら僕よりもすごい人はたくさんいる」

 

 

 

 

同じポジションを争った年下のライバルの存在もあった。

 

 

プレミアリーグのブライトンで活躍する三笘薫だ。

 

 

筑波大学を経て2020年に加入。

 

長い足と独特のリズムを活かしたドリブルは、長谷川に大きな刺激を与えた。

 

 

「自分にとってはすごい良い存在だったし、学ぶこともめちゃくちゃ多かったです。どうして薫のドリブルは抜けるんだろうって見てましたから」

 

 

左ウイングを主戦場とする長谷川と三笘は、どうしても比べられることも多かった。

 

 

「でも、自分の良さと薫の良さはまた違うんだけどなとは思っていました」

 

 

 

 

狭い場所でも恐れずボールを受けて、周りの選手と連携しながら、チャンスをつくりだす。

 

 

長谷川が好むプレーは、ワイドに開いたウイングより、中央寄りのポジションのほうが発揮しやすい。

 

 

このままドリブラーとして技術を磨くのか、それともプレーの幅を広げるのか。

 

 

 

 

「小さいし、特別速いわけでもないし、体が強いわけでない。正直に言えば、ドリブラーとしての自分に限界を感じていたんです」

 

 

 

 

 

新たな可能性を模索していた長谷川が、大きな決断を下したのは2021シーズン終了後だった。

 

 

 

J1昇格の力になりたい

 

「自分自身、もっと成長したい気持ちと、環境を変えてトライしたい気持ちがあった」

 

 

長谷川が新天地に選んだのは横浜FCだった。

 

J1王者だったクラブからJ2に降格したクラブへ。

 

そこに抵抗感はなかったのか。

 

 

「真っ先にオファーをくれたのが横浜FCだったんです。J1だろうがJ2だろうが、自分のことを必要としてくれるチームでやりたかったので。お話を聞いて『行きます』と」

 

 

 

四方田修平監督は新加入の長谷川にキャプテンを任せた。

 

 

J1優勝クラブの雰囲気を肌で知る長谷川に、チームを引っ張っていってほしいという思いだった。

 

 

「僕には特別なリーダーシップはありませんが、いろんな選手とコミュニケーションをとることは心がけています」

 

 

横浜FCには個性があり、実力のある選手がたくさんいる。

 

それでも、J2を勝ち抜いていくには本当の意味で“チーム”になることが必要になる。

 

 

「サッカーは1人ではできません。どんなに良い選手がいてもバラバラじゃ勝てない。みんなが同じ絵を描けるかが最も大事だと思うんです」

 

 

象徴的なシーンがある。

 

長谷川は試合中、とにかくよくしゃべっている。

 

うまくいった時は手を叩いて拍手を送り、ミスがあったらすぐに話をする。

 

 

サッカー選手、とりわけアタッカーには自分のプレーに集中するタイプも多い。

 

チームの結果に関わらず「自分がゴールを決めることがうれしい」選手もいる。

 

 

一方、長谷川の性格は真逆といっていい。

 

 

「もしかしたら、アスリート向きのメンタリティーじゃないのかもしれません(笑)。自分がよければいいって思えればどれだけ楽かなって思うこともあります。でも、それが僕の性格なんです。個人の結果うんぬんじゃなく、チームがJ1昇格できる力になりたい」

 

 

 

 

 

チームの真価が問われている

 

横浜FCは「1年でのJ1復帰」を合言葉に長いシーズンを戦ってきた。

 

 

決して順風満帆だったわけではない。

 

白星から見放された時期もあったし、低調な内容が続くこともあった。

 

 

「サッカーって、ちょっとしたボタンの掛け違いでうまくいかなくなってしまうんです。それを1つ1つ解決していくことが大事だと思っています」

 

 

何度も訪れた苦しい時期を乗り越えたチームは今、J1昇格まであと少しというところまで来ている。

 

 

「プレッシャーに打ち勝てなかったら上がれないし、打ち勝ったら上がれる。今こそチームの真価が問われているのかなと思っています」

 

 

 

 

 

第37節のホーム・ニッパツ三ツ沢球技場でのヴァンフォーレ甲府戦。

 

0-0のまま進み、引き分けの可能性も漂い始めた試合を動かしたのは、長谷川の右足だった。

 

左サイドから上げた精度の高いクロスで、小川航基のヘディング弾をアシストした。

 

 

甲府戦は相手にボールを持たれて我慢の展開を強いられた。

 

ハーフタイムのロッカールームでは選手同士がどうすればよいか、激しく意見をぶつけ合ったという。

 

本音でのコミュニケーションが土壇場での勝利につながったのは間違いない。

 

 

 

 

 

長谷川は胸を張る。

 

 

「このチームだったらJ1に昇格できる自信はあります」

 

 

10月16日、ホーム最終戦のツエーゲン金沢戦は勝てばJ1昇格が決まる大一番となる。

 

 

 

ただ、長谷川竜也はいつもと変わらないだろう。

 

 

チームが勝つために、自分にできることは全てやる。

 

 

 

 

 

そんなキャプテンがいたから、

横浜FCはここまで来れたのだから。

 

 

 

 

 

「みんなで最後に笑って終わりたい」

 

 

 

 

HAMABLUEのユニフォームに袖を通した瞬間から、ずっと思い描いてきた景色まであと一つ。

 

 

 

 

PROFILE

長谷川 竜也(Tatsuya HASEGAWA)/MF

静岡県沼津市出身。1994年3月7日生まれ。164cm、60kg。地元の門池SSSでサッカーを始め、静岡学園中学校、静岡学園高校を経て、順天堂大学に入学。2015年に特別指定選手として川崎フロンターレに加入し、2016年にJリーグ初出場を果たした。2017年には川崎の初タイトル獲得に貢献した。在籍していた5年間で4度のJ1優勝や数多くのタイトルを経験。2022シーズン、横浜FCへ完全移籍加入。加入後、プロキャリア初のキャプテンにも就任。好調なチームの中心的存在として牽引している。独特のボールタッチから仕掛けるドリブル、正確なクロスで多くのゴールシーンを演出。また守備面の献身性も光るミッドフィルダー。プロフィールページはこちら