横浜FC

取材・文=北健一郎、渡邉知晃

 

横浜FCが1年でJ1に復帰するために欠かせない男がいる。

 

齋藤功佑だ。

 

三浦知良が鈴鹿ポイントゲッターズに期限付き移籍したことにより、チーム最古参となった在籍7年目の齋藤は横浜FCの歴史を知る重要な存在だ。

 

横浜FCユースから期待の新人として昇格したが、プロの世界は厳しく、1年目は試合に絡めず苦しい時間を過ごした。

 

2年目に出場機会を掴むと、徐々に信頼を勝ち取り、クラブ悲願の13年ぶりJ1昇格にも大きく貢献。しかし、試合出場が増えJ1で戦う2シーズン目のこれからという時に、肩の怪我を負ってしまう。この怪我が思った以上に長引き、昨シーズンはリハビリでシーズンの大半を過ごすことになってしまった。

 

迎えた今シーズン、プレーで貢献してJ1昇格を掴み取るという思いは人一倍強いものがある。

 

「応援してくださるファン・サポーターの皆さんやパートナー企業のみなさんと、一つでも多くの勝利で喜びを分かち合って目標を達成したいと思います」

 

応援してくれる横浜FCに関わる全ての人たちに結果で恩返しをし、みんなを笑顔にするために、齋藤は今シーズンを戦う。

 

 

俺は底辺なんだから

 

今季で在籍7年目を迎える齋藤は、横浜市出身。

小学4年生で横浜FCフットボールアカデミースクールに入ってから、9年間のアカデミー生活を経てトップチームに昇格した。プロキャリア=横浜FCの在籍年数だ。

 

 

「いろいろな経験をさせてもらったなと。あまり成長速度が速いとは思いませんが、自分なりに段階をひとつひとつ登ってきていると思います」

 

思い描いていたようなプロ生活のスタートではなかった。「自分の人生の中でもすごく印象に残っている年」と話したように、プロ入り1年目の公式戦出場は“0”だった。

 

「ずっとサッカーをやってきた中で、一番苦しんだ年でした。本当に何もできなかったですね。失敗、失敗の連続で……。」

 

1年目はリーグ戦出場がなかっただけでなく、リーグで出場機会が少ない選手たちにとってはチャンスとなる天皇杯にも出られず。プロの洗礼を受けて、メンタルはズタズタになった。

 

 

「自信がない状態でボールを受けるからミスをする。ミスしたくないから自分らしさを出せない。完全に悪循環でしたね」

 

技術には少なからず自信を持っていた。それが全く通用しない。「プロの世界でやっていけないんじゃないのか……」。どん底まで落ちたことが齋藤に変化をもたらした。

 

「ある時、『俺は底辺なんだからどれだけミスしても一緒じゃん』という考えになって。そこから、ちょっとずつうまくいくようになった」

 

きっかけをつかんだのは、1年目のオフシーズンにあった若手だけでのベトナム遠征だった。

 

 

「プロの21歳以下の選手と、ユースの選手で参加したU-21の大会で活躍することができました。自分本来のプレーができて、自信を持って2年目に入れた。あのベトナム遠征は大きかったですね」

 

 

苦しんだ経験も、「今となっては本当にいい経験だった」と前向きに捉えている。どんな状況に追い込まれても決して環境や人のせいにしないのは、齋藤が大事にしていることだ。

 

「“自分に矢印を向ける”というのは育成年代から植え付けられたというか、ずっと小さい頃から自分の考え方として持っています。それによって見つかった課題に取り組めば必ず成長につながると思っています。」

 

このメンタルの強さ、思考力が今の齋藤を形成している。

 

2017/7/8 齋藤がプロ初出場を迎えた2017明治安田生命J2リーグ 第22節 横浜FC vs 松本(@ニッパツ三ツ沢球技場)

 

 

迎えた3年目の2018年6月24日、第20節のヴァンフォーレ甲府戦で待望のJリーグ初ゴールを決めた。この年は、前年が6試合だったリーグ戦の出場数を18試合に伸ばした飛躍のシーズンでもあった。

 

 

「タヴァレス監督になって出場機会を与えてもらって、たくさん試合に出られたのはよかった。でも……」

 

今でも悔しさが残るワンプレー

 

「あの瞬間を、今でも覚えています。プレーオフのアディショナルタイムでヴェルディに点を取られてJ1昇格を逃した。ずっと悔しい思い出として残っています」

 

2018シーズンのJ1参入プレーオフ2回戦の東京ヴェルディ戦。リーグ戦の順位で上だった横浜FCは引き分けでも先に進める状況だった。

 

0-0で迎えた試合終了間際の96分、コーナキックで最後のチャンスに上がってきた東京ヴェルディのGK上福元直人がヘディングシュート。

 

GK南雄太が辛うじて身体に当てたが、こぼれたボールを詰められて失点。このゴールが決勝点となって横浜FCは敗退してしまう。この時、相手GKの上福元をマークしていたのが齋藤だった。

 

 

「自分のマークだったので、自分の責任だと思っています。試合に負けて悔しいというのもありますが、チームに関わるみんなが悔しがっていて、その時の1点の重みは今でも覚えています」

 

まさに天国から地獄に突き落とされた瞬間であり、同時にサッカーの怖さというものを身をもって体感した出来事だった。

 

 

「この経験を生かして、絶対にJ1に昇格するんだっていう強い気持ちになりました」

 

その言葉通り、前年に味わった悔しさを糧に、翌年に横浜FCはJ1昇格を果たす。

 

 

「ショックを受けさせてしまった人たちの思いを1年で晴らすことができて本当に嬉しかったです」

 

 

2年越しのJ1昇格を果たしたことはもちろん、2位で迎えたリーグ最終節の愛媛FC戦で得点を決めた時の光景も印象に残っていると言う。

 

 

「ゴールネットが揺れたと同時にスタジアムのみんなが立ち上がっている姿は目に焼き付いています。横浜FCに育ててもらった自分が活躍することで、ちょっとでも恩返しをしたいという気持ちは強いです」

 

 

怪我からの再起を誓う2022シーズン

2021シーズンは9試合出場1得点。チームはJ2降格と不完全燃焼に終わった。試合出場が伸びなかったのは序盤戦での負傷が原因だった。

 

4月24日のJ1リーグ第11節の横浜F・マリノス戦で左肩甲上腕関節、上腕骨前方脱臼の怪我を負ってしまう。

 

 

 

「チームが苦しんでいる時に自分が力になれない悔しさもありましたし、純粋にプレーできない悔しさもあり、歯痒いシーズンになりました」

 

 

リハビリ期間中、クラブの様々な活動にも積極的に参加をした

 

 

新シーズンはJ2で戦う。それでも2年間J1での経験ができたことは大きかったと齋藤は言う。

 

「J1とJ2ではサッカーも違いますし、個々の能力が高いのはもちろんですが、上手さがベースにあってその上でフィジカルがあり、ずる賢さもあって駆け引きがうまい。そういったことを自分の肌で感じて通用する部分と通用しない部分がわかって、自信になったところと課題がはっきりしました」

 

 

J2降格に伴って、主力選手数名が移籍でチームを去っていく中で、「サッカー選手として常に上のレベルでサッカーをしたいという思いはある」としながらも、齋藤はこのチームで1年でのJ1復帰に向けて戦いたいという強い思いを持ってチームに残っている。

 

「もう若手ではないと自覚していますし、7年いることによって求められるものも変わってきています。組織的な部分でも成長しなければいけないですし、自分のパフォーマンスアップも同時にやっていかないといけないなと。チームと個人のどっちかに振りすぎてはいけないし、自分はそういうのが必要なポジションにいると思っています」

 

 

2022シーズンは1年でのJ1復帰が至上命題であり、横浜FCに関わる全ての人たちの期待を背負って戦う。

 

「クラブとしても年々積み上がってきていると思いますし、横浜FCはJ1で戦わなきゃいけないチームだと思っています。今までの経験を生かして今年はたくさんの勝利と共にJ1復帰を果たしたい」

 

これまでのキャリアも決して順風満帆だったわけではない。それでもブレない信念を持ち、齋藤は“ひとつひとつ”階段を登りながら横浜FCを高みへ導いていく。

 

 

■PROFILE
齋藤 功佑(さいとう こうすけ)/MF

神奈川県横浜市出身。1997年6月16日生。身長170㎝、体重61kg。Jリーグ通算68試合出場9得点。2013年、U-16日本代表に選出。
横浜FCサッカースクールを経て、ジュニアユース、ユースに在籍。2016シーズンに前嶋洋太(アビスパ福岡)と共にスクール出身生としては初のトップチーム昇格を果たした。足元の技術に絶対的自信を持ち、豊富な運動量と献身的なプレーでチームに貢献する。今シーズンで在籍7年目を迎え、クラブ、ファン・サポーターの期待を一身に背負うチームの中心的存在。